緩和ケアの歴史
緩和ケアは、医療看護の観点からどのようなものなのかについて述べる前に、緩和ケアはどのようにして誕生したのかについてみていきましょう。
ホスピスとは
緩和ケアの誕生について言及していく際には、ホスピスについて紐解いていく必要があります。
それでは、ホスピスとは、どのような機関なのかみていきましょう。
ホスピスとは、ラテン語の「ホスピティウム(hospitium)」という単語に由来しており、これは「親切なもてなし」というニュアンスをもった言葉です。
また「ホスピティウム(hospitium)」は、ラテン語の「ホスペス(hospes)」が由来となっています。 「ホスペス(hospes)」は、「主・客人(双方)」という意味です。
「病院(hospital)」や「ホステル(hostel)」といった施設も、単語の接頭辞に着目することからも分かるように単語の背景には、「hospes」があることが分かりますね。
最初期のホスピスの一つは、1000年以上前の中世ヨーロッパの頃にグラン・サン・ベルナール峠に建設されたホスピスのような施設であると考えられていますが、正確な歴史は今の所明確にはなっていないといわれています。
この施設は、当時の司祭であるベルナール・ド・マントン氏により設立され、ローマへの巡礼者や遭難者、病人のための施設として提供されていて、この建築物は今なお現存しています。
このグラン・サン・ベルナール峠の「サン・ベルナール」は、セント・バーナード犬の縁の地としても知られています。(因みにフランスのリヨンに設立されたオテル・デューがホスピスの原型といわれています。)
近代ホスピスの祖
緩和ケアは、近代ホスピスの設立に合わせて誕生しました。
ここでは、近代ホスピス発足に大きく貢献した二人の人物に焦点を当てて説明していきます。
(1)メアリー・エイケンヘッド
前項でも述べたように、ホスピスは元々、「巡礼者や遭難者、病人のための施設」でした。
そんなホスピスを「終末期の人がいかにありのままに過ごせるか」、「より善い最期を迎えられるか」という医療ケアを目的とした施設へと発展させていった、いわば近代ポスピスの源流は、メアリー・エイケンヘッドだといわれています。
ここからは、メアリー・エイケンヘッドの人物像からどのようにホスピスの源流が誕生したかについて解説していきます。
当時のイギリスにおいて、プロテスタント教徒が大多数を占めているのに対して、アイルランドはカトリック教徒が大多数であり、両者には宗教的な対立が起こっていました。
また、イギリスはアイルランドを支配していた時代もあって、当時のイギリス側はカトリック教徒に公職への就職の禁止といった厳しい弾圧を加えていたため、アイルランド人は貧困と病に苦しんでいました。
そんな中で、メアリー・エイケンヘッドは、プロテスタントの支配階級の家庭に生まれ、周りに比べて比較的、裕福に過ごしていました。
メアリー・エイケンヘッドは、幼少期にはカトリック系の里親に育てられていたため、上流階級の生活と(アイルランドでの)周囲の人々の貧しい暮らしの格差に違和感を感じながら育っています。
メアリー・エイケンヘッドが15歳のとき、彼女の父がカトリックへと改宗したことから自身も改宗します。
幼少時代から貧困と病に苦しんでいるカトリックの人々の生活を目にし、心を痛めていたメアリー・エイケンヘッドは、後にカトリックの修道女となり、生活困窮者に食糧を恵み、病気で苦しんでいる人々を看取ることを開始しました。
やがてメアリー・エイケンヘッドは、身分や宗派といったことに関係なく「誰もが平等に医療を受けられるような環境にしたい」という強い思いからダブリンに「貧しい人々のためのホスピス」を設立しました。
その後、1905年に(メアリー・エイケンヘッドをみてきた)修道女たちによって、ロンドンに聖ジョゼフ・ホスピスが設立されました。
この聖ジョゼフ・ホスピスには、後に「近代ホスピスの母」として知られるシシリー・ソンダースが勤めることになります。
シシリー・ソンダースによって、近代ホスピスと緩和ケアは世界的に普及しましたが、メアリー・エイケンヘッドがいなければ、今のような医療ケアの体制は整っていなかったかもしれません。
そういった点でも、メアリー・エイケンヘッドは「近代ホスピスの祖」といえる存在でしょう。
(2) シシリー・ソンダース
シシリー・ソンダースは、ホスピスを世界的に普及させた人物で、上述した通り「近代ホスピスの母」として知られています。
また緩和ケアの誕生についても、シシリー・ソンダースの影響は多大なものでした。
ここからは、シシリー・ソンダースの歩んだ医療への関わりからどのように近代ホスピス、緩和ケアが発展していったのかについて解説していきます。
シシリー・ソンダースは、イギリスの名家出身で、医学の道を志す前は、オックスフォー ド大学にて哲学や政治経済の分野を専攻していたけれど、在学時に第二次大戦が勃発し、そのことをきっかけに看護学を学び看護師としての道をスタートしました。
看護の道を進んでいる際に、シシリー・ソンダースは自身にとって看護の道は天職であると感じながら仕事を続けるも持病の脊椎彎曲の痛みが悪化してしまい、看護の仕事を断念せざるを得なくなりました。
しかし、「常に患者とともにいたい」という思いから、医療ソーシャルワーカー(当時は、アーモナー(アルモナー))を目指し、母校のセント・アン・カレッジに復学してから学位を取得し、医療ソーシャルワーカーとしての道をスタートしました。
この頃、シシリー・ソンダースは、デヴィッド・タスマという一人の男性に出会います。
この出会いこそが後の近代ホスピスの発展に大きく影響するのです。
デヴィッドはシシリー・ソンダースの最初に担当した患者でした。
彼は末期がんを宣告され、余命もわずかでしたが、当時2人は相思相愛でした。
またデヴィッドはポーランドからの移民で、孤独かつ貧困で、激しい痛みに苛まれており、人生に深い絶望感を抱いていたけれど、シシリー・ソンダースとの交流することで、やがて「人々のために何かしたい」という思いを持つに至ります。
そして、シシリー・ソンダースはこのデヴィッドとの日々の交流を通じて、末期の患者に対する肉体や精神に生じる苦痛を緩和するためのトータルケアがいかに重要かを学び、このことが後のシシリーが思い描いたホスピスの設立へとつながります。
デヴィッドの死後、シシリー・ソンダースは「死にゆく人々のために仕事をしたい」と思いからセント・ルークスという死に瀕している貧困者のための施設でボランティアの看護師として夜間に勤務していました。
そこでシシリー・ソンダースは、今まで自身が目にしてきた実習と異なって、がんの末期患者に対して無理な治療や麻酔は行わず、痛みが来る前に定期的に経口で鎮痛薬の医療用麻薬(モルヒネ)を与えることで疼痛から末期患者を解放するという方法を学びました。
当時のモルヒネを用いた治療は、がんの末期患者が痛みに耐えきれなくなった際にようやく用いることが多かったけれど、セント・ルークスでは1935年からこの手法を用いていたけれど、あまり認知されていませんでした。
痛みが襲ってくる前に定期的に鎮痛薬を投与するというセント・ルークスでの方法が、シシリー・ソンダースの鎮痛薬の用い方の基礎となりました。
またシシリー・ソンダースは、33歳の頃に自身の病院の上司からの勧めもあって、本格的に医師になることを決意して、セント・トーマス病院医学校に入学し、懸命に勉学に励み、優秀な成績を修めて卒業し、遂に医師免許を取得しました。
そして、シシリー・ソンダースの父の知人の紹介でセント・メアリー病院に勤め、「末期患者の痛み」について研究を開始します。
研究と並行して医療麻薬の投与方法の工夫をして、シシリー・ソンダースは末期患者の疼痛コントロールの方法に実践的に取り組んでいました。
こうしてシシリー・ソンダースは、さまざまな末期患者に向き合いながら、研究と緩和ケアを行い、金銭面や宗教的問題といった多くの困難を乗り越えて1967年に自らセント・クリストファー・ホスピスを設立します。
このセント・クリストファー・ホスピスは、今でもホスピスの聖地として有名です。
ここからホスピス運動を行い、ホスピスを世界的に普及させる以外にも、末期患者に対する疼痛をコントロールするための方法を示すことで薬理学の発展に貢献し、更に世界各地から研修生を自身のホスピスに受け入れて、アメリカに研修センターを設立するといった教育や緩和ケアの普及活動においても尽力し、医療を発展させました。
人に向き合う患者ファーストの医療は、今日では当たり前になってきていますが、シシリー・ソンダースの理念が無ければ、ここまで現在の医療ケアの理念は構築されていなかったでしょう。
これが、シシリー・ソンダースが残した大きな功績です。
日本における緩和ケアの歴史
最後に日本の緩和ケアについても触れておきましょう。
日本で初めてホスピスが誕生したのは1981(昭和56)年のことで、静岡県浜松市の聖隷三方原病院に独立型のホスピスが建てられました。
また1973年には、精神科医であった柏木哲夫によって大阪市にある淀川キリスト教病院にて末期患者のケアを行うためのチームがつくられました。
柏木哲夫氏は、末期がんの患者と向き合う中で、患者が抱える痛みに対して医師1人で対処することは難しいと考え、アメリカ留学時に学んだ死にゆく患者への組織的ケア(Organized Care of Dying Patient, OCDP)を参考に医療チームを発足しました。
そして、この医療体系をより機能化させるために1979年にホスピス設立準備委員会を設け、その5年後に日本初となる院内病棟型ホスピスを設立しました。
ここからホスピスケアにおける末期がん患者を対象とした医療へのアプローチを基に知識と医学的技術を基盤にした緩和医療学が誕生し、末期がんの患者への医療研究と卒前卒後の教育等が行われるようになりました。
現在ではがん治療において、有力とされる標準治療(外科療法、放射線療法、薬物療法)や免疫療法、近年だと光免疫療法といった治療法に加え、
がん医療分野において緩和医療学が認知され、また緩和ケアについても医療のあらゆる領域において、規範となっています。
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【当該記事監修者】院長 小林賢次
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